出来島保育園の村田園長先生にお話をうかがいました

2017.12.3

徳島市の出来島保育園の村田園長先生にお話をうかがいました。
先生ご自身の幼少期の思い出、自然への思い、本や挿絵との出会い、
ポポナのこと、子どもたちのこと・・・。
先生のお話をおうかがいしているうちに、子ども時代に戻っていくような気持ちになりました。

幼少期の宝物

私は昔からお話が好きな子でした。そしてこのポポナの本には、私が子どもの頃から好きだったものが全部つまっている感じがしました。一番大切にしたいものがポポナには入っています。幼少期、仲良しの友だちとれんげをつんで、れんげのミツをなめたり、椿にもミツがいっぱい入っていたり。それが私の楽しみの一つでした。探検ごっこも大好きでした。ものがない時代だったけれど、大工さんが石のチョークを落としてくれて、そのチョークでセメントの上に書いたりできるんです。そうしたものが私の宝物でした。

自然ってすごい! 妹たちってすごい!

ある日、私が小学校から帰ってきたら、四つ下の妹とその友だちが笹の葉でお舟を作っていたんです。「何してるん?」と聞いたら、「雨がふって、ここがお池になったら、このお舟を流す」と。全然雨が降りそうな感じではなかったので、私は(雨なんか絶対に降らんわー)と思っていました。でも妹たちは笹舟を一生懸命作っていました。そしたら本当に雨が降ってきたんです! 雨の一粒一粒が、川になる、お池になる、坂を笹舟がすっと流れていく。「雨が降って、お池になる。自然ってすごい!」と思いました。なのに、私は(こんな天気なのに、雨降るわけないやん・・・)と思っていました。雨なんて降らん、と思う自分がいました。その時「妹たちってすごい!」と思いました。その時の気持ちがずっと残っているんです。そうした幼少期の体験が、この本を読んでいると、ごく自然に思い出されました。

心に残っていく挿絵の力

小学校の高学年だったと思います。私は国語の教科書で見た「小さな馬車」の挿絵がすごく好きで、お話と一緒にその絵がずっと心に残っています。一人のおじさんが馬車で移動しているのですが、猛吹雪にあうのです。馬も苦しいし、大きな木に馬車をつなぎます。馬車の中にはワラがいっぱい入っていて。そのワラにくるまって寝たら、安心感とあたたかさがあって、遠くの方では風の音がピューと聞こえる・・・という挿絵でした。その挿絵がずっと心の中に残っています。不思議とずっと残っています。私の「安心」というのはそこにつながっているんです。昔だから好きな本もいっぱい買えない時代です。だから国語の挿絵が大好きな子でした。挿絵はすごい力をもっています。文章と挿絵が、一人の人間の本当に深いところで、ずっと残っていくのです。そこに安心感がつながっていく。私の安心感といえば、その馬車の挿絵につながっていくんです。

読み聞かせのバトン

私もずっと読み聞かせをしてもらいました。小学校1年生の先生がお年を召した方で、椅子にすわって、毎日、読み聞かせをしてくれました。そのシーンもずっと残っています。小学校1年生だからそんなに思い出ってさだかではないのに、その先生のまわりに、いつもみんながわーっと集まって、毎日、先生が読み聞かせをしてくれた、そのシーンが残っているんです。

天からふんどし引っぱった

私はばあちゃんとよく寝ていたんです。お話をしてもらうのが好きで、好きで、ばあちゃんにお話して、というとすぐ終わるんです。もっともっと長いお話をして、と。そしたら、ネタ切れしたんでしょうね、私がそれを言い出すと、ばあちゃんがあんたにはこれやなぁと「天からふんどしひっぱった。これ以上、長いお話はもうないよ」と。でもばあちゃんがどんな話をしてくれたか全然覚えてないのです。「天からふんどし引っぱった」だけが残っていて・・・。

そして大人になってから、それが歌になっているのを聞いたのです。「天からふんどし引っぱった」という歌を本屋のBGMで。年齢はさだかではないですが、高校生よりは大きくなっていたと思います。姉もその歌をどこかで聞いたらしいんです。これってばあちゃんが言っていたこと・・・ばあちゃんがこれを作ったんかな・・・みたいな。もし私が子どもの時にこのポポナの本があって、ばあちゃんが読んでくれたら、どんなに私は喜んだやろうかと思います。

温泉・・・葉っぱのふとん・・・子どもたちの好きなもの

子どもたちの好きなものがこの本には入っています。あったかい葉っぱのふとんで寝るシーンとか。温泉とか。本当に安らぐというか、温泉とか最高です。落ちこんだ時に夢が見られるような・・・。安らいで眠れるような。傷が癒えるのも本当に大事ですしね。子どもって、お風呂とか好きです。お風呂ぎらいの子もおるけれど、お風呂の匂いとか色って大事ですよね。うちの孫でも「お風呂いらん!」と言っていた子が、「今日はこの石けんがあるよ」と言ったら入るんですよね。ビニル袋ひとつでも「今日はこれで中で遊ぶよ~!」と言うと入るんですよね。

卒園までにポポナを読み上げる試み

この本はまずは私が(年明けの一月に)読んで、絶対に自分の本にほしいと思いました。本を頂いて、私すぐ計算しました。すぐ計算して、一日一章、短い章は二つ読めば、「卒園までに絶対にいける!」と。子どもたちにはエルマーの冒険など色々な本をずっと読み聞かせるんですが、「この本、すぐ明日から読んで!」と先生方に伝えて、読み始めてもらいました。うちの保育園では昨年から、卒園の時に本を贈ろうということになっているのですが、卒園までにこの本を読み上げて、小学校に行く子どもたちには「この本を贈ろう!」という感じになりました。

私が一番に読んだので、先生方に「どう? 私は、こう思うんやけど!!!」と。そしたら先生方みんながいいと、みんながほしいということになって。「子どもの反応どうだろうか」と先生方に聞いたら、すぐに本屋にさがしに行ったという子どももいて。「(贈るから)買わんでええよ!って、言うておいて!」と。読んですぐから反応があって・・・。「ああ、よかった!この本に決めてよかった!」と思いました。

成長とともに

ポポナの本は、天体とか色んなむずかしいこともいっぱいなんですけど、この本を見た時に、ああ、この本は何歳になっても読めると思いました。何歳になっても、小学校へ行って理科で習ったり、また大きくなって、地学じゃのなんじゃのを色々習ったりした時にも、何かすぅっと、ここに書かれている意味が、成長とともに理解できたりするんじゃないかな、とすごく思いました。

このお話は長いからいいんです。一行でも二行でも読み続けていく楽しさというものがあると思うんです。挿絵がすばらしいです。空の色もまた綺麗で・・・。私はこの木の絵(←表紙の千年オリーブ・ミリタリアエレナ)がすごく好きなんです。動物も本当にかわいいし、本を開けた時のあの木(中表紙の木)も大好きなんです。この「悪そげな顔」(←オオカミのコンタを指しながら)もかわいくて、かわいくて。この「悪そげな顔」がほんまにかわいくて。

『ピューン』と風を描いた体験

年長になってくると、これでいいのだろうかと描くのをためらったり、横の子を確認しながら、絵を描いたりするようになって・・・。ああ、それはもう私たちの責任だと、子どもが描きたいものを自信もって描けるような、そんな子に育ててあげなあかんとすごく思いまして。風の強かった日に、「今日の風を描いてみよう!」と『風』を描いたのです。本当に「感じたもの」を描こうと言って、その日は私も通勤中の車でピューンとなるくらい強い風が吹いた日で、風を「ピューン」と私が描いたら、子どもたちすごく喜びましてね、すごく喜んで、そこから子どもたちは色んな場所へ行って風を描きましてね。そして今度は八塚桜(はちづかざくら)が咲いた時には、桜を描いたらしいんです。大きい紙に。それを見た小さい組も「うちの組も描いてみよう!」となりまして。最初は「汚れる、汚れる」言っていた子が、最後はもう「へーへー!」と描き出しましてね。
出来島の子はこうでなくっちゃ!
出来島の子はね、自信をもって絵を描くのよー! それってすごく大事です。

自由に描くこと、自由に表現すること

一度、この保育園に美術関係の講師さんが来てくださって。キリスト教関係の保育園が集まって講義を受けた時、その方が「近くでしたから」とうちの保育園に寄ってくれて、うちの子たちの絵を見てくれて。「今日、何時間もかけて言ったことはこれですよー!」みたいに言ってくれたことがありまして。「この花を見て、こう描くのよ」というような教育をされている子は、題材が難しくなった時に描けない。それをどんなものでも、自分がこれ見て「こうだわー!」と思って自信もって描く子は、題材が難しくなっても描けますよ、とうちの子たちの絵を見て言って下さったことが残っているんです。大きい組になるにしたがって絵が小さくなっていったりするんです。それって残念やなぁと思いまして。自由に描くこと。自由に表現するということ、それができる子にするというのは、私たちの使命だと、私は思うんです。私は、時々、水をまく時にも、じょうろで絵を描くことがあるんです。子どもも喜ぶんですよ。「じょうろで絵が描けた!」と喜ぶんです。

私たち大人が、伸びる力を抑えてはいけないんです。子どもの力って私たちが思う以上です。思う以上なんです。それをこんだけと思ってしまったらあかん部分があります。それを毎日、教えられています。